何かを決めたり、判断する行為について、苦にならない人と、苦手な人がいるようです。
苦手な人にとって、決断することはとても重い業務/行為になります。ある種の人たちにとっては、旅行先の宿泊先を決める、同僚とのランチのメニュー選択する細かい判断に悶々とし、負担になるということもあるようです。
仕事で言えば、あなたの決断が誰かにとって望ましくないものや、大きな方向転換を伴うものであれば大きな負担を感じることもあるでしょう。判断に伴う準備や資料作り、担当部門内の協力依頼、社内の関係者や取引先の目線、これから出てくるであろう質問や批判、そしてその決断が最終的に期待外れの結果となった場合などなど、判断を取り巻く周辺には多くの負担が待ち受けています。
ただ、それでも何らかの判断をしなければいけない場合というのはあるわけです。判断をしない/逃げるという行為であったとしても。
一つ救いだなと思うのは、長年仕事をする中で、判断する行為が苦手であっても、判断をしっかりしていけば、苦にならない人たちの判断よりも最終的によい評価を得られることもあるということです。
どのように判断をすればよいかというのは、業界や担当職種・部門、タイミングなど様々な要素があるので、簡単に方法論を挙げるのは難しいのですが、よい判断をするためには判断がしやすい環境にしておくことは多くの人にとって有効だと考えています。
例えば、心技体という面では、以下のようなルーチンづくりが挙げられます。
【身体】よく寝る、よく食べる、リラックス、作業スタイルを作る(席に座る)
【技術】判断根拠を収集する(理屈を積み上げる)、判断基準を作る
【心理】安心する(瞑想、深呼吸)、モチベーションをもらう(本、マンガ、音楽)、負担を小さく分ける(中間締切)、今後のイメージ(クレームや怒り、喜び)と周囲からのアドバイス など
そんなことを考えながら読んだのが、井川意高「熔ける」です。
著者は大王製紙の御曹司として社長・会長となるも、カジノの借金で100億円以上の資金借り入れし、逮捕された人物です。カジノの掛け金や資金の借り方などのスケールの大きさは想像がつかないのですが、著者が大王製紙の社員、経営者として取り組んできた姿が印象的でした。
一般社員では想像がつかない御曹司という立場での業務は、周囲から様々な思惑での目線や人間関係があっただろうと想像するのですが、何かを判断するという点では方針や思考プロセスの部分で参考になる点が多くありました。例えば、5W2Hを心がける点などは、判断のルーチン化になると感じました。
※When(いつ)、Where(どこで)、Who(誰が)、What(何を)、Why(なぜ)
How(どのように)、How many/How mach(いくつ/いくら)
あと、部長/本部長時代の、概念論と抽象論、根性論と精神論の弊害にこだわりながらも、自分で考え、最善を尽くし、結果が出なかった場合は仕方がないという思いは、現場の肌感覚と経営としての結果論を同じベクトルに乗せるバランスの良さがあり、部下からの信頼感が得られるだろうなと感じました。検察の捜査尋問の中で担当検事から、”社員から仕事に関する悪評はなかった”という話は自著という点を差し引いても、そうだったのではないかなと思わせる説得力があります。