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仕事の評価を上げる

私の仕事は、誰に評価されるのか。

会社員(オフィスワーカー)の仕事は誰のために行っているのでしょうか。

自分自身や家族の生活のため、仕事で直接やりとりする相手(購入者・取引先や社内の同僚など)のため、または評価をする会社や上司のためという人もいるでしょう。しかし、その先で、誰に、どこに、どのように貢献しているかは様々です。

例えば、製品やサービスを作る/販売する仕事であれば、取引先だけでなく取引先のビジネスに貢献するべく、より良いもの(Quality)、予算(Cost)、納期(Delivery)に通りに作る/販売する、といった表現も可能です。しかしながら、経理や総務など会社の管理や活動支援業務の場合、貢献先が限定されているようにも見えます。

一方で、業界や市場の関係者、地域社会、さらには全世界のため、といったより広い範囲での貢献を目標とする人もいるでしょう。目線を広げることを抽象的には考えられても、具体的な貢献を明示できるケースは少ないかもしれません。”意識高い系”に代表されるような、貢献範囲が大きいことや広いことが偉いという風潮もあるようですが、貢献には広さだけでなく、深さや濃さもあるわけで。例えば会社は、”法人”という名の組織体として、広い範囲での貢献をしているわけですね。手ごたえのある職業人生とするためには、意思や適性、どの場所を選ぶかが重要です。

そうしたことを考えながら、他の職業を見渡してみると、政治家という仕事は、幅広く、多くの人々や団体などに貢献し、評価される職業の一つと言えます。

政治家は、国や市町村をよりよくするために、規模の大小や制約はあるものの、本来的には、何をするか・変えるかを決める、予算や人員などのリソースの再配分を決める権限を持っています。しかし、決定や権限を行使するためには、世襲議員などを含めても、経験や実績などの下積みと、選挙を通じた国民や住民の賛成を得続ける必要があります。さらに、国民や住民には政治家にとって都合の良い人(支援者や業界団体など)、都合の悪い人(政策や人柄に反対、イデオロギーが異なる)など、複雑な利害関係の中で、政策判断やリソース配分の政策面だけでなく、人柄や考え方など選挙民から全人格的に評価をされているとも言えます。

面倒な立場の中で、政治家が評価をされる仕事の一つが、高齢者、貧困者、障がい者などの社会的弱者を助ける/救う取り組みです。しかしながら、実行・継続していくのは年々難しくなっているように見えます。日本が、少子高齢化や人口減少、デフレ経済をはじめとするGDPの相対的な後退などによる経済面の衰退や、東日本大震災やコロナウイルスなどの大きな災害・被害により、社会的弱者を助ける/救う余裕がなくなりつつあるように見えます。

このようなことを考える中、10年以上ぶりに読んだのが、魚住 昭「野中広務 差別と権力」です。

この本で野中広務の仕事は、弱者に対する優しいまなざしと、権謀術数を駆使する老獪な政治家として表現されています。しかしながら、これらの仕事を”誰に対して”伏せて読めば、弱者も強者も関係なく、困っている人/求める人を助けることが貢献であり、好き嫌いはあってもその後の評価につながっていることがわかります。政治には売上や生産性の概念がないからか、密告やゆすりなどなどの情報戦、多数派工作など、能力の無駄遣いにも見えますが、政治家における”当選”、法案を通すための仲間の確保をKPIに置き換えれば、彼らの中では理にかなった動きなのだと思われます。

また、その仕事は、安易な自己犠牲ではなく、自分や目的に到達するために強かな準備が必要なことも見えてきます。また、自分の利益だけを考えるのは、はたから見ると滑稽であり、大事なことを教えてもらえない/助けてもらえないデメリットは大きいこともわかります。

そういえば、最近注目されているベーシックインカム(Wikipedia)は、経済的な弱者だけでなく、困っている人/求める人を助ける仕組みなのだと気づきました。もちろん、経済的な弱者支援の側面が大きいのですが、所得の再分配による景気回復、起業など経済力獲得のための準備コスト、行政コストの削減などのメリットもある仕組みです。一時期、政治や行政は民間企業から学ぶという流れがありましたが、民間企業もこのようなアイデアに学ぶことができそうです。 最近見つけた記事は、米カリフォルニア州オークランドが発表したベーシックインカムの実験では、民間からの寄付を低所得・貧困層に支給するというもの。取り組みの成果を知りたいところです。

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